手の中から生まれていく、帽子という小さな宇宙。
ナナシノ商店街オリジナル「ローカルバッグ」や、イイトコの物々交換から生まれた「ものくるベレー」に、その独特のセンスと技術を惜しみなく注ぎ込んでくれているカタチノ製作所。帽子デザイナー、はるひちゃんの自宅兼アトリエにお邪魔してきました。
社会人になって最初に買った工業用ミシンの前で。「機械との“人馬一体感”が好き。自由に扱えないと縫えないから、この感覚はとても大切です」
反抗期と、音楽と、ファッションと。
小さい頃のことから伺っていいですか?
小学校で家庭科が始まった頃、ちょうど手元に祖母の肌色の生地(今思えば肌着だったのかも。笑)があって、それで巾着を作りました。ランドセルにぶら下げたんだけど、それがお洒落だと思って。小さいものでも自分の力で完成させることができたっていう達成感があった記憶があります。母もものづくりが好きな人で、絵本の「だるまちゃんとてんぐちゃん」の人形を作ってくれたりしていましたね。
中学生の頃には、ファッションに目覚めて。ビジュアル系バンドとか、洋楽だとエアロスミス、ミスタービッグとか好きだったなぁ。音楽とファッションってつきものじゃないですか。だからファッションにも自然と興味が出てきて。ちょっと個性的なお洒落さんがたくさん出てくる、ファッションスナップを集めた雑誌が愛読書でした。
早い頃からファッションやものづくりの世界に興味があったんですね。
そうです。当時創設されたばかりの、田舎の中高一貫校の二期生で、周りは勉強するって雰囲気なんですけど、自分はモチベーションがあんまりなくて、勉強が楽しくない。で、何に一所懸命になるかっていうと、安全ピンをつなげて小さいタンバリンとかカバンに下げちゃったりとかして。これもものづくりの思い出(笑)。
高校は校則が厳しいほうだったんですが、みんな制服をアレンジしたり、学校指定のじゃないカバンを持って行ったり、ルーズソックスを履いてたりするわけですよ。そういうのを見て、なるほどかわいいなあ、と、私は自分でスカートの裾を上げてみたんです。バレても戻せるようにするにはどうしたらいいか、いろいろと研究した結果、折り曲げた裾をきれいにまつり縫いする技を編み出して。自分のだけじゃなく、軽く10人にはやってあげました。で、見事に捕まる(笑)。
高校時代に修得した、布地の一本一本(!)をひと針ずつ丁寧にすくって縫う技を、エプロンで実演してくれているところ。こ、細かすぎる......!
帽子づくりの道、そして自身のブランド立ち上げまで。
そして、家族の勧めもあって多摩美術大学へ進むんですね。数あるファッションの中で、なぜ帽子づくりの道を?
大学で染織を専攻したときの講師の先生の存在が大きいです。アートな感じのヘッドウェアを作る方で、写真や実物を見せてくれたんですが、この先生には大きな影響を受けました。即興とかを多用する独特な授業でずいぶんと鍛えられたんですが、そんななか、友達の作る作品なんかを見て比較したりしながら、どうも自分は洋服ではないな、帽子だなと。
で、4年のとき、ダブルスクールで帽子の学校にも通い出すんです。夜間に、週2で多摩から代々木まで二年間。このときの教科書はいまだに読み返しています。そして、帽子メーカーの会社に5年勤めます。
その後、独立してアトリエを構えた経緯は?
会社に入るときから「ここで技術や知識を貯めるんだ」と決めていました。会社では様々な経験をさせてもらって、これからはそれを活かして100%自分自身のクリエイティブで勝負したいと思ったのが5年の区切りでした。
それで独立して、会社の同僚だった子と一緒に清澄白河に11坪ほどの倉庫を借りて、建築家の友人たちとアトリエを作りました。そこでしばらくはファッションブランドなどのOEMのサンプルや、商品、ステージ用・撮影用の依頼を受けて帽子を製作していたんですが、2014年に自分のブランド「HARUHIUJI」を立ち上げて、展示会や催事などで販売をはじめたんです。
アトリエの一角には帽子を作るときに使う木型が並ぶ。現役の木型職人は少なくて、すでに作られたものを中古で探すことも多いそう。
手の中で組み上がっていく感覚がたまらなく好き。
帽子を作っていてよかったと思うのはどんなとき?
自分が作った帽子を、特別なシーンだけじゃなくて、毎日被ってくれているときかな。あと、仕事してるとき被ってるよ!って言われるときとか。日常の中でその人の一部になっていることが最高に嬉しいです。
あとはやっぱり、被る人を可愛く、カッコよくできることですね。帽子って顔にいちばん近いじゃないですか。みんな自分の顔にはコンプレックスとかいろいろあるけれど、帽子を被っているときの自分が好きってことは、それを受け入れるお手伝いができているっていうことですよね。そう思うとすごく嬉しい。
じゃあ、帽子を作っていて楽しいときは?
私ね、美術予備校時代、立体構成だけは本当に得意だったんですよ。カタチが手の中でできていく、手を動かしてパーツが組み上がっていく感じがしっくりくるんです。ひたすら自分と向き合うというか、没頭するのがたまらなく好きで。だから、そうやってバランスのいいものができたときが職人としてすごく嬉しいです。あとは、きれいに縫えたときと、200個(!)とかの大量の制作が終わったとき(笑)。
デザインするときは、シンプルな中にも感覚を刺激するアクセントのあるものを心がけています。なんかピピッとくる、琴線に触れるというような。それも自分自身の感覚を頼りに合わせていく感じです。手の中で、バランスを見ながら、立体的に構築していく感じ。
アトリエの入り口を入ってすぐの壁には、これまで作った帽子や素材が棚いっぱいに並ぶ。左下にはギター。音楽は今も好き。
ナナシノ商店街とローカルバッグのこと。
ナナシノ商店街ではるひちゃんといえば、ローカルバッグの製作者です。ローカルバッグ誕生のいきさつは?
そもそもはさくら園芸の涌井さんに「お店の廃材を使ったこんなバッグが作りたい!」って相談をいただいたことがきっかけです。とても面白い試みだと思って、すぐに引き受けました。それから、廃材をどう使おう? 組み合わせは?と涌井さんと二人三脚で作り上げていきました。
バッグの形の元になっているのは園芸屋さんが草花の苗を入れるのに使うビニール袋なんです。他にもいくつか形の候補はあったのですが、さくら園芸の涌井さんが作るバッグなのだから、これで行くべき!と私は強く思いました。なぜ涌井さんが作るのか、由来というか、その根拠をしっかりさせたかったからです。形って大事ですから。
それにしても、たったひとつのバッグから架空の商店街が生まれて、新聞記事になったり、コラボが生まれたりしちゃうなんて、その展開には私もびっくりしているんですよ。
ローカルバッグのサンプル撮影ではスタイリングや撮影を担当(左端はご本人)。ローカルバッグは2020年3月に発売予定です。乞うご期待!
▪️取材後記
クリエイティブの源にあるもの。
今回、はるひちゃんにインタビューするにあたって、私の中には「はるひちゃんのあのセンスが何処から来ているのかを解き明かしてやろう!」という魂胆がありました。ところが、聞けども聞けども出てこないのです。インスピレーションの源や、創作の参考にしているもの、インプットが。「あの映画のこんなシーンが好き!」とか、「詩を読むのが好きで」とか、「○○っていうアーティストの作品が......」という答えを予期していた私は、見事に肩透かしを喰らうことになりました。
インタビューを終えて見えてきたのは、はるひちゃんのあの世界観は紛れもない「オリジナル」だということ。そしてそれこそが「創造」ってことなのだということ。それは、「映画は見ますか?」という質問に対する、はるひちゃんの「映画を見て心を揺さぶられるのが苦手。現実はこんなに波乱に満ちているのに、なぜ映画のような形でわざわざ見せられなきゃいけないんだろうって」という言葉が物語っているように思います。淡々と過ぎていく(かに見える)日常の一瞬一瞬が、はるひちゃんの心にはいつも、かけがえのない創作の源のひとつひとつとして、しっかりと刻み込まれているんだと気づかされるのでした。(文責:なおこ)
▪️カタチノ製作所/HARUHIUJI
講座「リメイク&シェアでまちづくり」のお知らせ(2020.2.22開催)
ナナシノ商店街のローカルバッグがアップサイクル講座に登場!
足立区NPO活動支援センターで開かれるアップサイクル講座にナナシノ商店街が登壇します。商店街活動から生まれたローカルバッグや、ものくるベレーについてお話しする予定です。講座の前半には、モノとの関係を見つめ直す北欧のドキュメンタリー映画も上映。興味のある方はぜひお申し込みください。
▪️申込先:足立区NPO活動支援センター/TEL.03-3840-2331・申込フォーム→リンク(1/7から先着順)